勿忘草
秋の夜長の物思いの時間だよ。まだ残暑だけど。
人の記憶に関して、最近2つの出来事から思う事があった。
人が本当に死ぬのはいつか。
心臓が止まったらなのか。呼吸が止まったらなのか。
それは物理的な、生物としての死でしかなくて、
本当の死はたぶん“忘れられる”ことなんじゃないか。
小説だったかなんだったか、こんな話を目にしたことがある。
つまり、生きるとは誰かの記憶に、意識に存在することだと。
「覚えてくれていて嬉しい。」
よくある言葉で、でも誰かに些細な事でも覚えていてもらえるのは嬉しいことだ。
(時に忘れておいて欲しいこともあるが。)
つい先日もこの言葉を言われ、むしろ僕も数多の人の出会いの中での
ほんの些細な出来事を憶えていてくれて嬉しかった、なんてことがあった。
この嬉しいの感情も、突き詰めると実は
「あなたが覚えていてくれるから、私は生きている。それが嬉しい。」
ということになるんだろうか。ちょっと大袈裟だろうか。
先日、大好きだった祖父が旅立った。
多くの人が偲んでは、思い出を語っていた。
そうして誰かが憶えていて記憶を繋いでいく限り、祖父は生き続けるんだと思う。
そして僕は記憶だけでなく、もう一つ祖父を感じているものがあって
それは可笑しい話だけど“甘いものが好きな遺伝子”なんです。
まぁ父親とその兄はそうなんだけど、その子供連中で甘味ラブなのは
おそらく僕だけで、優しさだとか冷静な性格だとか
もう少し違った遺伝子が欲しかったけど、これも悪くないと思う。
またキス釣りに行こうね、じいちゃん。
“あなたがいるからこの命は永遠に続いてゆく”
Pieces/L'Arc-en-Ciel